ナタデココ嫌い

毒親からの逃亡日記。

ギャンブル依存症の毒親・子は何をされても怒ってはいけない?

 

物心つくころから私は深夜まで家に一人で留守番することがほとんどだった

 

両親が帰ってきて、抱き着くとタバコの匂いがした

 

パチンコに行っていたんだと子供ながらに知っていたけど(何度か連れていかれたことがあったから匂いでわかる)

 

行かないでと思ったことがなかった

 

でも誰もいない部屋はすごく怖かった

 

 

両親のギャンブル依存は中学まで続いた

 

父は仕事が忙しくなり、現在ではパチンコはやっていない

 

母は土日が暇なので毎週通っている

 

幼少期は酷くて、パチンコで負けて不機嫌になり八つ当たり、そして私が貯めていたお小遣いを貸せとよく頼まれた

 

 

小学生の頃、父にお金を貸した

 

私のお小遣いだけどもともとは親の金だし…と文句は言えなかった

 

欲しい物が買えなかったり、真冬にコートも買えなくても(真冬に長袖シャツとパーカーのみで過ごした)文句ひとつ言ったことない

 

「友達に借りるの恥ずかしいから」と私に借金を頼む両親

 

嫌だなーと思いつつ従っていた

 

ある日、父がお金を返しに来た

 

父は私の部屋の扉を開けてお金を宙に投げた

 

「ほら!拾え~!拾え~!」

 

と笑った

 

私は笑えなかった

 

お金をそんな扱い方をすることにも、仮にももともとは父のお金だったとしても借りたお金をそんな返し方をする父をとても残念に思ったし、すごく悔しかった

 

私は悲しい気持ちで床に散乱したお金を一枚ずつ拾った

 

 

自分のお金だからってこんなことしていいの?あなたの子供だから何でも我慢しなくちゃいけないの?

 

 

中学生の頃、14歳の誕生日

 

父と母は夜遅くまで帰ってこなかった

 

両親からタバコの匂いがした

 

パチンコに行ったのだと白状していた

 

誕生日プレゼントは無しだった

 

金を全部パチンコに使ったというのだ

 

いつもとは違う小さいケーキを切りながら泣いた私を見て母が言った

 

「何?w嬉しくて泣いてるの?www」

 

 

この人たちは悪魔だと思った

 

私は14歳の誕生日のことがどうしても引っかかって、許せなくて、父の誕生日も母の誕生日も、父の日も母の日も何も祝わなくなった

 

バレンタインに私からのチョコがないことを父が呟いていたけど、そんなのちょっと悲しいくらいでしょ?

 

私はあの日すごく悲しかったんだよ

 

あんなことされてあんなこと言われて…

 

 

そのあと両親のギャンブル依存症のせいで進学できないかもという事態にもなっていた

 

中3のとき、タバコのにおいを付けた父が帰ってきて

 

「高校行かせてあげられないかも」

 

と言った

 

私は公立に受かっていた

 

それさえもできないの?私立じゃないよ?公立受かったんだよ?

 

なんでパチンコ行くの?

 

ほんとに呆れて、「あぁそうなんだ」としか言えなかった

 

結局高校はいけたけど、あの時の絶望は忘れられない