ナタデココ嫌い

毒親からの逃亡日記。

10年鬱を放置した私が心療内科に行ってみた。

 

 

今日は10年越しに心療内科に行った話をしようと思う。

 

私は小6のとき自身が鬱ではないかと疑い、両親に相談した。

 

「お前が鬱なわけあるか!!!」

 

父親の答えはこうだった。

 

それから鬱が加速し、中学時代は本気で自殺を考えていた。

 

そしてなんだかんだ生き延びて毒親から逃げ、成人した私は今更心療内科へ向かうことを決意した。

 

 

まずは病院探し。

 

近所の病院の口コミや評価は見事にボロクソ。この時点でやっぱり行くのやめようかとも思った。

 

数日インターネットの地図上を彷徨い、厳しめの先生だけど評価は高いところに予約をした。

 

平日のお昼に電車に揺られて30分。

 

予約時間の10分前に着き、待っていた。

 

待合室にあの田房永子さんの「母がしんどい」があった。

 

思わず手に取った。

 

「「母がしんどい」だ!」

 

めちゃくちゃ読みたかった本だった。でも2,3ページ読んだらすぐ呼ばれ、診察室へ。

 

先生は女医さんで、少々早口でまさに「できる女」というイメージの方だった。

 

先生に家庭環境や過去のことを話したり、ハイになったり定期的に鬱になることを話した。

 

先生は「躁鬱か双極性Ⅱ型」といった。

 

躁鬱のひどいバージョンが双極性Ⅱ型らしい。

躁鬱は躁が来ると次は必ず鬱が来る。だから躁を抑える薬を出された。

 

薬を処方され、電車に乗って帰った。

 

診察とお薬代、合わせて2000~3000円くらい。

月2回程度通うので交通費もあわせたら5000~6000円くらいになってしまう。

やっと病名が分かったけど、お金のことがすごく心配になった。

 

自立支援法で通院費が1割自己負担になるものがあるらしいのでそれに申請してみる。

そのことについてはまた別の記事で。

お久しぶりです

 

 

はろー、お久しぶりです。

 

前回の記事からいろいろありまして、あの時受けたバイト先は一か月しか続かなかった。

 

軽作業の工場だったけど周りが男の人だらけで力仕事もあった。

そんな時、女の私は棒立ち。すごく居づらかったし、ここは男性の職場だなあと思ったらだんだん鬱になり、気づけば辞める電話をしていた。

 

それから清掃のバイトを今していますが8月までで辞める約束をした。

無理してはいけないと思い短時間すぎるバイト先を選んでしまったから。

これだと精神面はよくても経済面がよくない。

 

やっとのことで重い腰を上げ心療内科に行ったのでそのことを次回書こうと思う。

毒親育ちのニートの社会復帰

 

毒親から離れられて精神的に少し落ち着いたものの、まだまだ心配事は止まらない

 

今度は金銭面のこと

 

毒親から逃走したとき、私の所持金は約30万ほどだった

 

これは幼い頃からいつかこの家を出ていくときのためにとお小遣いやお年玉を貯めていたもの

 

仕事なんてすぐ見つかる、そんなことを思いながら生活してたら

 

新生活の初期費用やらで15万はあっという間になくなった

 

服を全然持ってこれなかったから仕事で使える服や指定の靴を買ったのに、後から電話で「やっぱり不採用です」と言われて金の無駄使いもした

 

結局5月にはとっくに働いているだろうという余裕ぶった予想は外れた

 

現在はバイトの面接の結果待ち

 

採用されても給料が入るのはおそらく来月か再来月

 

金銭的にはギリギリな状況なので体を売ることも考えた

 

これからどうなるんだろう

 

流石に今月中には働いていたい

 

 

 

4日程度工場で働いたけど、いろんなことがあって毒親のことがフラッシュバックして辞めてしまった

 

怒鳴られると父を思い出し、外国人と話していると母を思い出す

 

苦しくて辞めた

 

4日程度じゃ2万円の稼ぎになるはず

 

それが振り込まれるのも翌月の中旬

 

とても苦しい

近況報告

 

毒親から逃げて少し経った

 

精神的には実家にいるよりマシ

 

金銭的にはかなりキツイ

 

正直仕事なんて我慢すればできると思っていたけど

 

一度毒親から逃げたからなのか、逃げ癖がついた

 

ちょっと職場の人に愚痴を言われたり怒鳴られたくらいですぐ辞めてしまうようになった

 

毒親に怒鳴られて泣いて幼少期を過ごしたためストレス耐性が低すぎるし、ちょっと怒られただけで「殺される!」と思って反射で泣いてしまう

 

立派なACだね

 

おかげで生活費が稼げない

 

彼がいなかったら生活保護に頼ってしまっていたかもしれない

 

彼がこの家に置いてくれているから生活できている

 

仕事が決まらないうちは二人分のご飯の用意や洗濯や家事のほとんどをやるようにしてる

 

 

 

明後日、また新しい仕事の面接だ

 

今度こそ上手くいくといい

毒親育ちの末路

 

仕事を探していた

 

面接ですごく好印象で即採用された

 

用意してと言われた仕事で使う服や靴も用意した

 

面接の際、毒親から逃げていて緊急の連絡先に親の連絡先を書けないが一緒に住んでいる彼の連絡先ならかけると相談した

 

面接では「それなら大丈夫だと思うけど上に聞いてみる」と言われたが、後日電話で不採用だと言われた

 

理由はもちろん親の連絡先が書けないから

 

電話ではすごく冷たくて、親の連絡先を書けない私をなんだか怪しんでいる感じだった

 

働く日も決め、その日までに服と靴を用意しろと言われ、指定されたものを電車に乗ってわざわざ買いに行った

 

それも全部無駄になった

 

採用結果までの電車賃、日数 全部無駄

 

私はいわゆるできちゃった婚で生まれた子供なので親戚に疎遠にされていたので連絡先も名前も何も知らない顔も見たことない

 

毒親からやっと逃げられたと思ったのに、まだ親から離れられないってどういうことなの?

 

毒親育ちは生きてちゃいけないですか、働いてはいけないですか

【成功】実家から逃げ出し毒親へ住民票の閲覧制限【レポート】

 

私の場合

 

なんの手続きもできないまま荷物をまとめて家を出る(この時置き手紙を置いていった)

引越し先(彼の家)で転出届の手続きを郵送で行う

転出証明書が届き、警察へ(支援措置申出書をもらう)

転入届と閲覧制限の手続き

 

だった

 

 

実家で転出届や閲覧制限の手続きができたらもっとスムーズだった…らしい(警察の方曰く)

 

が、毒親に監視されていたので長時間の外出は絶対無理だった(実際警察での相談は4,5時間ほどかかった)

 

それに実家は田舎すぎてこの問題を理解してもらえるか不安だったし、何度か警察と話して「はいはい、家族喧嘩ね~夫婦喧嘩ね~」とめんどくさそうな対応をされたので良い印象がなかった

 

だからわりと都会の方だとうまく行くかも・・・?

 

 

【引越し先管轄の警察での相談】

これが一番嫌だったけど・・・行ってみたら思ってたより親切でびっくりした。

でも私の場合虐待やDVの証拠を持っていなかったのですごく疑われた。唯一毒親が地元の警察にお世話になったことがあったので田舎の警察署へ問い合わせてもらって確認が取れてやっと認められた。

(虐待のことは深くは聞かれなかった。時期頻度を聞かれたくらいで何をされたかは聞かれなかったのは意外だった)

毒親が警察のお世話になったり、DVや虐待でどこかに駆け込んだ時、どこかに相談に行った時、ちゃんと記録を残してもらってどこの警察に行ったか、どこの施設に行ったか、時期はいつか、覚えておいたほうがいいかも。

結局そういう証拠や記録があるかどうかで決まるみたい・・・。だからまだ家を出れない人はどこかに電話や直接会って相談をして記録を残してもらうといいかも。

 

【役所】

近所の出張所ではなく大きい役所へ向かった。(今後住民票の写しもここでしか渡せないと言われた)

窓口へ行ったらベテランっぽい女性が対応してくれた。とても丁寧で優しかった。

ここでは多分1時間も掛からないくらいで終わったと思う。

警察でもらった支援措置申出書のおかげですんなり通った。

閲覧制限がかかるとこんなことができなくなるよーとかその他諸々の説明をされるだけだった。

 

 

 【余談】

私は実家で軟禁状態でした。毒親のドライバーとして自宅で待機させられ、働かせてもらえませんでした。できるなら実家を出る前に転出や住民票の閲覧制限の手続きをしたほうが良いです。

私のやり方でもできますが、時間がかかりました。(1ヶ月ほど)

追跡されてしまうので親名義で契約した携帯電話は使わないでください。私は彼の名義でスマホを契約してもらいました。

家を出る際は置き手紙を置いて行ってください。自殺の意思はないことと事件性がないことと自分の意思で家を出ることと探してほしくないことと日付と名前を書いてください。これで毒親が警察に相談しても捜索されないはずです。

 

新生活を始めるため私が行った主な行動は

押入れや見られないところにいつでも持ち出せるように2,3日分の服や大事なものを詰めたバッグを隠す→タイミングを見て置き手紙して家を出る→彼の家につく→転出届を郵送で行う→(彼名義でスマホを契約してもらう)→転出証明書が届く→警察に相談→役所へ(転入、閲覧制限、マイナンバー、保険の手続きする)→もう一度警察へ(免許証の住所書き換え)→もう一度役所へ行って身分証明書のコピーをやり直してもらう(免許証で行ったので)→銀行で新しい口座をつくる→仕事探す

こんな感じでした。

一例に過ぎないのでもっと効率的に動きたい人はこれを参考に考えてみてください。(私はこれで1ヶ月くらい費やしました)

私は彼の家に逃げ込めましたが、お金がなくて逃げる場所もない人は遠方の住み込みで即働ける場所を探してネットなどで評判を確認してみてください。家具家電付きで即働ける場所は結構あると思います。相談センターなどに電話してみて自立まで支援してくれるシェルターなどに案内してもらうのもいいと思います。

 

 

【おまけ】

住民票の閲覧制限のことはネットでもいろいろ書いてありますけど地域によって違うこともあるので一応引越し先のところに電話したんだけど・・・役所の人・・・すごく冷たかった。

「ここに住む予定だろうがあなたの住民票はここじゃないのでこちらでは何もできません相談も対応できません」と突っぱねられた。聞き取りにくいと「ハァ!?」と言って聞き返して来てくるので怖かった。電話している間なんだかずっと怒ってるみたいだった。

でも警察の方は転入届も出していない私にすごく優しかった・・・この違いは一体。

あの監禁事件で決意した私

 

 

毒親から逃げよう。よし準備しよう」

 

皆さんはどんなきっかけで毒親から逃げることを決めましたか

 

どんなきっかけで準備をはじめましたか

 

 

 

私は家を出たい、家を出たいと思い続けて成人してしまった

 

毒親に暴力を受けたのは過去の事だし証拠もない

 

ほとんどは暴言や人格否定や理不尽なヒステリーによるもので、外面が良い親の周りに相談しても無駄だった

 

衣食住は与えられているし、はたして「精神的な虐待」だけで施設に入れたりするのか子供ながらに悩んだ

 

そのままずるずる悩んだまま大きくなってしまった

 

 

 

高校生の時それとなく一人暮らししたいと父に言ってみた

 

でも結果はやっぱり…

 

「一人暮らしは許さない。結婚してもこの県から出るな」

 

と言われた

 

両親の喧嘩を何とか止めようと仲裁に入ったときも矛先が私に向き、「出ていけ」と怒鳴られて怖くなってお金だけ持って家を飛び出そうとした

 

でも母が玄関で私の腕を掴み、邪魔をした

(こいついつも邪魔しかしない…)

 

父親に追いつかれてしまって

 

「出て行ったら探し出して殺してやる」

 

と怒鳴られた

 

あの時母が腕をつかんで引っ張らなかったらこんな言葉聞かなくて済んだのに

 

トラウマにならずに済んだのに

 

そのあと父の友人に助けを求めても「松ちゃんが悪いんでしょ?ほら、ごめんなさいしな」と言われ、恐怖で泣いて震える私を大人たちが囲んで逃げられなくして私が父になぜか謝罪をして終わった

 

 

 

「探し出して殺してやる」

 

この言葉が頭から離れなくて怖かった

 

自分はもうこの家から出られないんだと思った

 

ほとんど諦めていた

 

高校を出て推薦で大学に行こうとした

 

でもオープンキャンパスに行ったら父が大学の先生にヒスり、台無しになった

 

一気にやる気がなくなって、どうせ貧乏なんだし学もないからと諦めてしまった

 

親に言われるがまま嫌々免許をとり、当日に突然呼び出されて毒親の騒音で寝不足なのに何度かドライブに行かされる日々

 

何度も来なくなる生理、定期的に襲う鬱・自殺願望

 

 

引きこもって2年経った頃かな

 

あの事件が起きた

 

自分の事のように思った 悲しくなった 怖くなった

 

真相は曖昧だし関係者しか知ることはできないかもしれないけど

 

このまま実家にいるまま、行動もなにもかも制限されたまま老いるのが怖くなった

 

それから私は自分でも驚くほど本格的に逃亡計画を始めた

 

時間、タイミング、経路、持ち物、逃亡後にする手続きのこと、手続きの順番、全部準備した

 

頼れる人ができたのも大きかったと思う

 

人間関係は長い時間をかけて作ってきたからこの人たちに会えてほんとによかったと思う

 

 

 

毒親から逃げられない人は「低賃金だし」「追いかけられたら怖いし」「鬱で思うように動けない」とかいろいろ足枷があると思う

 

でもどうか若いうちに脱出してほしい

 

強引でも恋人や友達に迷惑をかけてでも飛び出してほしい

  

 

まだ逃げられない人やACで苦しんでる人を勇気づけられたらいいなと思います