ナタデココ嫌い

毒親からの逃亡日記。

あの監禁事件で決意した私

 

 

毒親から逃げよう。よし準備しよう」

 

皆さんはどんなきっかけで毒親から逃げることを決めましたか

 

どんなきっかけで準備をはじめましたか

 

 

 

私は家を出たい、家を出たいと思い続けて成人してしまった

 

毒親に暴力を受けたのは過去の事だし証拠もない

 

ほとんどは暴言や人格否定や理不尽なヒステリーによるもので、外面が良い親の周りに相談しても無駄だった

 

衣食住は与えられているし、はたして「精神的な虐待」だけで施設に入れたりするのか子供ながらに悩んだ

 

そのままずるずる悩んだまま大きくなってしまった

 

 

 

高校生の時それとなく一人暮らししたいと父に言ってみた

 

でも結果はやっぱり…

 

「一人暮らしは許さない。結婚してもこの県から出るな」

 

と言われた

 

両親の喧嘩を何とか止めようと仲裁に入ったときも矛先が私に向き、「出ていけ」と怒鳴られて怖くなってお金だけ持って家を飛び出そうとした

 

でも母が玄関で私の腕を掴み、邪魔をした

(こいついつも邪魔しかしない…)

 

父親に追いつかれてしまって

 

「出て行ったら探し出して殺してやる」

 

と怒鳴られた

 

あの時母が腕をつかんで引っ張らなかったらこんな言葉聞かなくて済んだのに

 

トラウマにならずに済んだのに

 

そのあと父の友人に助けを求めても「松ちゃんが悪いんでしょ?ほら、ごめんなさいしな」と言われ、恐怖で泣いて震える私を大人たちが囲んで逃げられなくして私が父になぜか謝罪をして終わった

 

 

 

「探し出して殺してやる」

 

この言葉が頭から離れなくて怖かった

 

自分はもうこの家から出られないんだと思った

 

ほとんど諦めていた

 

高校を出て推薦で大学に行こうとした

 

でもオープンキャンパスに行ったら父が大学の先生にヒスり、台無しになった

 

一気にやる気がなくなって、どうせ貧乏なんだし学もないからと諦めてしまった

 

親に言われるがまま嫌々免許をとり、当日に突然呼び出されて毒親の騒音で寝不足なのに何度かドライブに行かされる日々

 

何度も来なくなる生理、定期的に襲う鬱・自殺願望

 

 

引きこもって2年経った頃かな

 

あの事件が起きた

 

自分の事のように思った 悲しくなった 怖くなった

 

真相は曖昧だし関係者しか知ることはできないかもしれないけど

 

このまま実家にいるまま、行動もなにもかも制限されたまま老いるのが怖くなった

 

それから私は自分でも驚くほど本格的に逃亡計画を始めた

 

時間、タイミング、経路、持ち物、逃亡後にする手続きのこと、手続きの順番、全部準備した

 

頼れる人ができたのも大きかったと思う

 

人間関係は長い時間をかけて作ってきたからこの人たちに会えてほんとによかったと思う

 

 

 

毒親から逃げられない人は「低賃金だし」「追いかけられたら怖いし」「鬱で思うように動けない」とかいろいろ足枷があると思う

 

でもどうか若いうちに脱出してほしい

 

強引でも恋人や友達に迷惑をかけてでも飛び出してほしい

  

 

まだ逃げられない人やACで苦しんでる人を勇気づけられたらいいなと思います