ナタデココ嫌い

毒親からの逃亡日記。

苦痛!毒親接待

 

高校生のころから毒父に外食に連れていかれるようになった

 

この時はまだよかった

 

高校卒業後、私が免許をとると練習と称していろんなところへ連れていかれた

 

 

私は免許を取る前に「免許いらない。車は危ない」と拒否した

(私が自身のADHDアスペルガーを疑っていたし、実際人を轢きそうになったり事故になりそうになったり、適切な判断ができないことが多かった)

 

路上に出てしまうと教科書通りじゃない

 

自分で臨機応変に判断しなきゃいけない

 

それが自分にはできないとわかっていたから私は拒否した

 

でも父は

 

「俺が車運転できなくなったらどうする!!!灯油は誰が買いに行くんだ!!!自転車漕いで持ってこいっていうのか!!!」

 

とヒス

 

いやいや…知らねーよ…アンタが老いて動かなくなるまでこの家にいるつもりねーよ…

 

とまあこんな感じで結局免許を取らされ、教官と上手くコミュニケーションがとれなかったり、教官に怒鳴られて運転中に泣いたりして大変だった

 

ストレスのテスト?で引っかかって、個室に呼び出されてしまったこともあった

 

ほんとにしんどくて当時はめちゃくちゃ顔むくんでパンパンだった

 

 

そして免許を一発でとり、安心したのも束の間

 

地獄はここからだった

 

週末でも平日でも構わず当日の朝にいきなり

 

「○○時に○○行くから」

 

と勝手に予定を決める

 

断ればもちろんヒスるから

 

「はい」としか返事できない

 

本当は予定が入っていても親を優先しなきゃいけない

 

そしてもっとも嫌だったのが免許をとったことにより練習と称して遠出すること

 

峠を登らされたり、信号になれないのに信号だらけで判断しづらい場所を走らされたり、スピード出さないと後ろにピターっと付かれるような道路を走らされたり

 

生きた心地がしなかった

 

運転した後はすごく疲れて何もできない

 

 そして父は今更「仲良い親子」に憧れて公園などに私を連れて行く

 

そして私が嫌いな写真を撮り、勝手にいろんな人に送る

 

私は父や母が私の写真を取ってあとからひそひそと顔を見て笑ったりからかったりするのですごく嫌だった

 

そしてそれを勝手に拡散する

 

そしてSNSで笑いものにする

 

凄く嫌だった

 

公園やデパートに連れていかれても私は楽しいと思ったことがないし笑えなかった

 

父の偏見による差別 発言(ケバブ売ってる外国人店員を怪しいと言ったり)に「はい、そうですね」って相槌を打たなきゃいけなかったり

 

いちいちカメラを向けられ、笑えと言われたり

 

 

そして父は混んでいる駐車場での駐車でパニックになる私を面白がって笑う

 

私は真面目なのに怖くてパニックを起こしたり、失敗するとからかって笑う

 

私は笑えない

 

だって命にかかわることだから

 

ほんとは運転したくないのにめちゃくちゃ神経つかって無理して運転してる

 

周りのためにもこんなことしたくない

 

 

家を出たら絶対運転しません

 

車ってほんと便利だけど危険な乗り物